top of page
秋野 不矩 あきの ふく/Akino Fuku
1908年、静岡県磐田郡二俣ふたまた町(現 浜松市天竜区二俣町)に生誕。19歳で石井林響いしいりんきょう、次いで京都の西山翠嶂にしやますいしょうに師事した。 22歳のとき(30年)、朝鮮人部落の女が赤ん坊を負うて麦野を歩く姿を描いた《野を帰る》が帝展に初入選。36年文展監査展に《砂上》を出品、選奨を受賞。戦後まもなく、新しい日本画の創造を目指して〈創造美術〉(現 創画会)の結成に参加し、官展を中心とする旧態依然とした日本画から離れ、既存の枠にとらわれない斬新な表現技法で人物画に新境地を開いた。 1962年、54歳のときにインドのビスバ-バラティ大学(現 タゴール国際大学)の客員教授に招かれ1年間滞在。以来、インドに魅せられ、その後もたびたび現地を訪れ、インドの風景や人々、寺院などをモチーフとした作品を制作した。また、アフガニスタン、ネパール、カンボジア、アフリカを旅し、創作のモチーフとなった。 1991年、文化功労者顕彰。1999年、文化勲章を受章。2001年、93歳で亡くなるまで精力的に絵筆をとり続けた。
bottom of page