秋野不矩 年譜 1908-2001
1908年(明治41)─── 0歳
7月25日
静岡県磐田郡いわたぐん 二俣町ふたまたちょう 城山(現 浜松市天竜区二俣町)の神職の家に生まれる。
父 惣吉そうきち、母 かつのもとに、6人兄妹(女5人、男1人)の末子として生まれる。本名 ふく。
1920年(大正 9)─── 12歳
二俣尋常高等小学校(現 浜松市立二俣小学校)で図画教師 鈴木俊平の影響を受ける。鈴木の話や見せてもらった画集を通じて初めてゴーギャンやゴッホの絵にふれる。
1925年(大正14)─── 17歳
3月
静岡県立二俣高等女学校(現 静岡県立二俣高等学校)卒業。
4月
静岡県女子師範学校2部(現 静岡大学教育学部)入学。美術教師 三沢佐助の指導を受ける。
1926年(大正15)─── 18歳
3月
静岡県女子師範学校2部卒業。
4月
静岡県磐田郡横山尋常高等小学校(現 浜松市立横山小学校)へ赴任。1年生を受け持つ。
1927年(昭和 2)─── 19歳
7月
静岡県磐田郡横山尋常高等小学校を辞職。
9月
父親の勧めで、千葉県大網町の石井林響りんきょう に内弟子として入門し、画室掃除や鳥の世話に明け暮れるほか、様々な書画、工芸品にふれる。
1929年(昭和 4)─── 21歳
3月
師 林響、脳溢血症で倒れる。
11月
京都の西山翠嶂すいしょう 塾 青甲社しょうこうしゃ の塾生 福田恵一(帝展作家)の紹介と、塾頭 小川翠村の取次ぎで同塾に入門。当時、堂本印象、上村松篁しょうこうらが絵を学んでいた。
1930年(昭和 5)─── 22歳
2月
25日
師 石井林響他界。
5月
24日 - 26日
第7回青甲社塾展(京都岡崎第二勧業館)に《休日》を出品。
10月
16日 - 11月20日
帝国美術院第十一回展(第11回帝展)(東京府美術館)に《野を帰る》(秋野ふく名義)を出品、初入選。
1931年(昭和 6)─── 23歳
5月
16日 - 18日
第8回青甲社塾展(京都岡崎第二勧業館)に《朝露》(牛と彼岸花)を出品。
6月
青甲社研究会展に《花と少女》を出品。
10月
第12回帝展に《野良犬》を出品するが、落選となる。
1932年(昭和 7)─── 24歳
塾の先輩 澤 宏靱こうじんと結婚、京都市左京区田中樋口町ひのぐちちょうに住む。
5月
第9回青甲社塾展(京都岡崎公会堂東館)に《花まつり》を出品、入選。
10月
16日 - 11月20日
帝国美術院第十三回展(第13回帝展)(東京府美術館)に《ゆあみ》を出品、入選。
大毎女流展に《青梅》を出品、入選。
1933年(昭和 8)─── 25歳
1月
郷里の実業家 内山竹蔵の尽力で二俣町役場の幹部らが発起人となり、秋野ふくの二俣後援会が発足する。以来、内山家の支援を受ける。(「初入選 落選 創造美術」『画文集 バウルの歌』筑摩書房、1992年11月/曽我清臣 編著『秋野不矩青春紀行』2024年9月)
4日
長男 癸巨矢きくし 誕生。
この頃、画号を〈不矩ふく〉とする。「(年始に発足した-引用者)後援会に描くのは軸物の絵で、私には初めての試みでうまく描けなかった。また、それに落款らっかんする「ふく」というひらがなはまことに坐りが悪い、それで辞書から好きな字をさがして「不矩」という字をあてることにした。」(「初入選 落選 創造美術」『画文集 バウルの歌』筑摩書房、1992年11月)
3月
19日 - 20日
第一回奈那久佐会ななくさかい展覧会(福村祥雲堂 主催/京都祇園八坂倶楽部階上)。《静物》《椎の実》を出品。この二作品は「不矩」の画号を用いた最初期の作品。〈奈那久佐会〉は大阪・京都の女性のみの七同人、生田花朝女いくたかちょうじょ、西畑起佐子にしはたきさこ、梶原緋佐子かじわらひさこ、小松華影こまつかえい、秋野不矩、木谷千種きたにちぐさ、三谷十糸子みたにとしこ で結成(『藝術』第11巻7号、藝術通信社、1933年8月刊/『塔影』9巻4号、塔影社、1933年5月刊)。
奈那久佐会は後の〈春泥社〉へとつながる。
5月
第10回青甲社塾展(京都岡崎公会堂)に《ごちそう》を出品、入選。
10月
第14回帝展(東京府美術館)に《朝露》を出品、入選。
1934年(昭和 9)─── 26歳
5月
大礼記念京都美術館展に《春閑》を出品。
(京都の各画塾は塾展を中止)
10月
第15回帝展(東京府美術館)に《ゆの後》を出品、入選。
1935年(昭和10)─── 27歳
4月
7日
次男 亥左牟いさむ 誕生。
5月
第1回京都市美術展覧会(大礼記念京都美術館/現 京都市美術館)に《百日草》を出品。
10月
(この年、帝展不開催。)
12月
父 惣吉没。翌年夏まで天竜で静養する。
《天竜川》を制作。
1936年(昭和11)─── 28歳
11月
昭和11年文展監査展(東京府美術館)に《砂上》を出品、入選。選奨(帝展の特選と同じ)受賞。
1937年(昭和12)─── 29歳
5月
第2回京都市美術展覧会(大礼記念京都美術館)に《小児群像》を出品、入選。
6月
京都の女流画家の会〈春泥社〉結成参加。梶原緋佐子、三谷十糸子、広田多津ひろたたづらが同人。第1回春泥社展(京都丸物百貨店楼上)に《首夏しゅか》他2点を出品。
10月
16日
三男 子弦みつる 誕生
京都市東山区岡崎広道三条下る(粟田口)に転居。
11月
第1回新文展(東京府美術館)に《小児群像》を出品、入選。
1938年(昭和13)─── 30歳
3月
第11回青甲社塾展(大礼記念京都美術館)に《三人の娘》を出品。
5月
第3回京都市美術展覧会(大礼記念京都美術館)に《兄弟》を出品、入選。
6月
青甲社素描展(京都大丸百貨店)に《女》を出品。
11月
第2回新文展(東京府美術館)に《紅裳こうしょう》を出品、特選を受賞。
1939年(昭和14)─── 31歳
3月
第12回青甲社塾展(大礼記念京都美術館)に《女性》を出品。
7月
青甲社小品展(大阪高島屋百貨店)に《少女》を出品。
25日-30日
初個展(大阪大丸百貨店)。
12月
橋本多聞堂新作画展(日本橋東美倶楽部)に《雪崩れ》を出品。
1940年(昭和15)─── 32歳
1月
3日
長女 靱子ゆきこ 誕生。
2月
青甲社塾小品展(京都四塾連鎖展/銀座資生堂、閑尚美堂主催)に《春》を出品。
4月
大毎東日奉祝日本画展覧会(大阪毎日・東京日日新聞社主催)に《陽》を出品、大毎東日賞受賞(特選第1席)。
11月
紀元2600年奉祝展(大礼記念京都美術館)に《朝》を出品、京都市買上げ。
12月
第2回青甲社小品展(大阪高島屋百貨店)に《錦木》を出品。
1941年(昭和16)─── 33歳
5月
新文展無鑑査に決定。以後隔年出品。
青甲社海軍献納画展に《天竜川(二題)》を出品。
1942年(昭和17)─── 34歳
5月
23日
四男 矩之のりゆき 誕生。
第7回京都市美術展覧会(大礼記念京都美術館)に《子ら》を出品。同展審査委員となる。
11月
第5回新文展(東京府美術館)に《新秋》を出品。
1943年(昭和18)─── 35歳
6月
第8回京都市美術展覧会(大礼記念京都美術館)に《童女》を出品。同展参与となる。
11月
第6回新文展(東京府美術館)に《童女》を招待作品。
1944年(昭和19)─── 36歳
4月
産業戦士贈画展(西山翠嶂塾 青甲社主催)に《童女》を出品。
7月
平安遷都1150年奉祝京都市美術展覧会(大礼記念京都美術館)に《秋草》を招待出品。
10月
戦時特別文展に《騎馬戦》を無鑑査出品。
12月
家主の都合により京都市美術館近くの京都市左京区岡崎法勝寺町124へ転居。
1945年(昭和20)─── 37歳
2月
18日
五男 等ひとし 誕生。
8月
15日
敗戦を京都で迎える。
11月
第1回京都市主催美術展覧会(後の〈京展〉)に《秋萩》を出品。
1946年(昭和21)─── 38歳
10月
16日-11月20日
第2回日展(東京都美術館)に《姉妹》を出品。
1947年(昭和22)─── 39歳
10月
第3回日展(東京都美術館)に《桔梗》を出品。
1948年(昭和23)─── 40歳
1月
26日
日展を離れて〈創造美術〉を結成。創設時メンバーは秋野不矩のほか上村松篁、広田多津、澤 宏靱、向井久万くま、菊池隆志、奥村厚一、山本丘人きゅうじん、吉岡堅二、高橋周桑しゅうそう、福田豊四郎、橋本明治、加藤栄三。
9月
第1回創造美術展(東京都美術館)に《作品I》《作品II》を出品。
1949年(昭和24)─── 41歳
5月
9日-14日
第1回創造美術春季展(日本橋 丸善画廊)に《少女》を出品。
9月
京都市立美術専門学校助教授に就任。
21日 - 10月10日
第2回創造美術展(東京都美術館)に《少年群像》を出品。
1950年(昭和25)─── 42歳
4月
京都市立美術大学助教授に就任(この年大学設置認可・京都市立美術専門学校助教授兼任)。
5月
23日 - 28日
第2回創造美術春季展(日本橋高島屋)に《少女》を出品。
9月
22日 - 10月8日
第3回創造美術春季展(東京都美術館)に《少年群像》を出品。
1951年(昭和26)─── 43歳
2月
20日
《少年群像》(第3回創造美術春季展)および今日までの画績に対し第1回上村松園賞を受賞。本賞は若手女流日本画家に与えられる賞。選考委員は福田平八郎、山口蓬春、小野竹喬、山本丘人、上村松篁。
5月
第3回創造美術春季展(日本橋高島屋)に《裸婦》を出品。
9月
10日
〈創造美術〉と〈新制作派協会〉が合流し、〈新制作協会日本画部〉となる。
10月
第15回新制作展(東京都美術館)に《裸婦》を出品。
1952年(昭和27)─── 44歳
4月
新制作春季展(日本橋三越)に《少女》を出品。
9月
第16回新制作展(東京都美術館)に《立てる女》を出品。
1953年(昭和28)─── 45歳
4月
新制作春季展(日本橋三越)に《花》を出品。
5月
第2回日本国際美術展(東京都美術館/毎日新聞社主催)に《五月》を出品。
9月
第17回新制作展(東京都美術館)に《坐す》を出品。
1954年(昭和29)─── 46歳
1月
第1回女流3人展〈秋野不矩・小倉遊亀・三岸節子〉(銀座松坂屋)を開催。以後5回開催される。
4月
新制作春季展(銀座松坂屋)に《裸童》を出品。
9月
第18回新制作展(東京都美術館)に《裸婦》を出品。
10月
奥村厚一・秋野不矩二人展(京都大丸)を開催。
1955年(昭和30)─── 47歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《眠る子供》を出品。
5月
第3回日本国際美術展(東京都美術館)に《裸童》を出品。
9月
第19回新制作展(東京都美術館)に《立像》を出品。
1956年(昭和31)─── 48歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《青年立像》《静物》を出品。
5月
第2回現代日本美術展(東京都美術館/毎日新聞社ほか主催)に《青年》を出品。
9月
第20回新制作展(東京都美術館)に《裸童》を出品。
1957年(昭和31)─── 49歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《青年像》を出品。
5月
第4回日本国際美術展(東京都美術館)に《裸婦》を出品。
9月
第21回新制作展(東京都美術館)に《男の像》《女の像》を出品。
1958年(昭和33)─── 50歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《猫》を出品。
9月
第22回新制作展(東京都美術館)に《風景》《静物》を出品。
オーストラリア・ニュージーランド巡回日本美術展(東京国立近代美術館)に《坐す》を出品。
同展は11月よりオーストラリア・ニュージーランドを巡回。
10月
澤 宏靱と離婚。
1959年(昭和34)─── 51歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《猫(花の猫)》を出品。
5月
第5回日本国際美術展(東京都美術館)に《花の猫》を出品。
9月
第23回新制作展(東京都美術館)に《州(洲)》を出品。
1960年(昭和35)─── 52歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《静物(花)》を出品。
5月
第4回現代日本美術展に《暮れる海》を出品。
9月
第24回新制作展(東京都美術館)に《人物(立像A)(立像B)》を出品。
1961年(昭和36)─── 53歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《静物》を出品。
5月
第6回日本国際美術展(東京都美術館)に《少年と猫》を出品。
9月
第25回新制作展(東京都美術館)に《女たち(黒髪)》を出品。
1962年(昭和37)─── 54歳
5月
第5回現代日本美術展(東京都美術館)に《椅る女》を出品。
7月
インド初滞在(1年間)。西ベンガル州のサンティニケタンSantiniketan ビスバ・バラティ大学Visva-Bharati University(現 タゴール国際大学)客員教授として招かれる。サンティニケタンのほかアーグラのタージ・マハル、ラジャスタン、ジャイプール、アジメール、ウダイプール、バトナー、ブバネシュワール、プーリーなど、インド各地を訪れる。
1963年(昭和38)─── 55歳
9月
第27回新制作展(東京都美術館)に《平原落日(落日)》《空岳とまり》を出品。
凱風会展第21回展(村越画廊)に《インドの女》を出品。
1964年(昭和39)─── 56歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《サンタル村童》を出品。
9月
第28回新制作展(東京都美術館)に《少女(ガンジス河畔の少女)》を出品。
「秋野不矩 展」(東京高島屋画廊)に《インド女性》《平原》《平原落日》《室内》《サーバント(召使)》《たむろするクーリー》《ガンガー》《夜のガンガー》を出品。
1965年(昭和40)─── 57歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《少年サーバント》を出品。
9月
第29回新制作展(東京都美術館)に《干刈場風景》を出品。
1966年(昭和41)─── 58歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《扉の前の僧》を出品。
5月
京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)教授となる。
9月
第30回新制作展(東京都美術館)に《壁》を出品。
1967年(昭和42)─── 59歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《猫》を出品。
6月
京都市美術館平常陳列の企画展で「秋野不矩・齋藤真成」二人展を開催。
9月
第31回新制作展(東京都美術館)に《苦力クーリー》を出品。
1968年(昭和43)─── 60歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《猫》を出品。
9月
第32回新制作展(東京都美術館)に《野娘》を出品。
1969年(昭和44)─── 61歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《少女》を出品。
9月
第33回新制作展(東京都美術館)に《雨期(雨季)》を出品。
12月
長男 癸巨矢きくしを隊長にミクロネシア調査旅行(1ヵ月)。ヤップ島、ウルシー両島に滞在。
1970年(昭和45)─── 62歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《海》を出品。
9月
第34回新制作展(東京都美術館)に《海辺の墓》を出品。
1971年(昭和46)─── 63歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《シヴァ(南インド)》を出品。
9月
第35回新制作展(東京都美術館)に《R.K.K.》を出品。
10月
インド・アフガニスタン旅行(約3ヵ月)。マドラス、コモリン岬、バンガロール、プーリ、マイソール、パトナー、ネパール、カブールおよびバーミヤン(アフガニスタン)などへ。
1972年(昭和47)─── 64歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《乾季》を出品。
9月
第35回新制作展(東京都美術館)に《アフガニスタン風景(アフガニスタン)》を出品。
1973年(昭和48)─── 65歳
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《インド》を出品。
7月
京都市左京区岡崎法勝寺町124の自宅兼画室を全焼。
11月
京の百景展(京都府総合資料館・京都府主催)に《平安神宮》を出品。
1974年(昭和49)─── 66歳
2月
京都市左京区八瀬近衛町に移転。
3月
京都市立芸術大学美術学部教授を退任。
4月
新制作春季展(京都市美術館)に《静物》を出品。
5月
25日
新制作協会から日本画部が退会し、創画会を結成。会員となる。
5月
インド旅行(約1年間)。ケララのヒンドゥ寺院壁画調査、ラジャスタン、ベナレス、エローラ、アジャンター、ボンベイ、バンガロール、ネパール、パトナー、デリー、マトゥラー、バーミヤン(アフガニスタン)、ビカネール、ジャイサルメール、バンジャミール、ヘラートおよびペルセポリス(イラン)などへ。
7月
京都市市立芸術大学名誉教授となる。
1975年(昭和50)─── 67歳
5月頃
インド旅行から帰国。
1976年(昭和51)─── 68歳
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《カミの泉》を出品。
10月
第3回創画展(東京都美術館)に《カミの泉II》を出品。
10月
京都市左京区八瀬近衛町の自宅兼画室、火災。
1977年(昭和52)─── 69歳
4月
インド旅行(約1年間)。カルカッタ、オリッサ、サンチ、ヴィデシャ、ハイデラバード、グジャラート、ラージコート、ボンベイ、ドゥワラカ、ハッシュドマタ、オカ、ジュナガート、アーメダバード、ギルナー山、ジャイサルメールなどへ。
11月
3日 - 27日
「戦後日本画の一系譜 創造美術・新制作・創画の30年」(京都市美術館)に《少年群像》《平原》《カミの泉II》を出品。
1978年(昭和53)─── 70歳
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《行者シヴァ》を出品。
5月
マラリアで倒れる。
10月
第5回創画展(東京都美術館)に《黄土》を出品。
11月
京都市文化功労者表彰。
1979年(昭和54)─── 71歳
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《女神ナギニー》を出品。
5月
19日 - 6月20日
「京都画壇100年の名作展」(京都市美術館)に《室内》を出品。
10月
第6回創画展(東京都美術館)に《ガンガー》を出品。
1980年(昭和55)─── 72歳
3月
朝日画廊5周年日本画20年展に《女神ヤクシニー》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《ヤクシニー》を出品。
10月
第7回創画展(東京都美術館)に《残雪》を出品。
10月
京都府北桑田郡美山町の三男 子弦みつる宅の隣に画室をもつ。
1981年(昭和56)─── 73歳
1月
第1回現代女流画家展(高島屋)に《チャンパーの花》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《ヤムナー女神》を出品。
10月
第8回創画展(東京都美術館)に《初冬》を出品。
10月
京都府美術工芸功労者に表彰。
1982年(昭和57)─── 74歳
1月
第2回現代女流画家展(高島屋)に《糸》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《サラスヴァティ》を出品。
9月
インド旅行(約3ヶ月)。インド人画家ナンダラ・ボーズ生誕100年祭に出席。サンティニケタンSantiniketan 、ヴィシュヌプール、マドバニ村、マドライ、マハバリプラム、カンチプラム、アマラバティ、ナガールジュナコンダ、ハイデラバードなどへ。
10月
第9回創画展(東京都美術館)に《砂漠の街》を出品。
1983年(昭和58)─── 75歳
1月
第3回現代女流画家展(高島屋)に《土の家》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《サリーの女》を出品。
10月
第10回創画展(東京都美術館)に《土の祈り》を出品。
《池のほとり》《女神ドルガ》を制作
11月
天竜市(現 浜松市)名誉市民となる。
1984年(昭和59)─── 76歳
1月
「美しきものとの出会い 井上 靖展 忘れえぬ芸術家たち」(横浜高島屋/毎日新聞社主催)に《紅裳》《女神ヤクシニー》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《廻廊》を出品。
7月
「'84美術選抜展」(京都府芸術文化協会主催)に《土の祈り》を出品。
10月
第11回創画展(東京都美術館)に《たむろするクーリー》を出品。
11月
10日 - 12月9日
「近代日本画における風俗画展」(京都市美術館)に《紅裳》を出品。
《ナーガー・ナギニー像》《白い扉》《中庭の祈り》《七母神》《裏町(カルカッタ)》《ブラーミンの家》《唄うバウル(吟遊詩人)》《テラコッタの寺院》《壁を塗る》《海辺のコテージ》を制作。
1985年(昭和60)─── 77歳
2月
27日 - 4月24日
「女流画家インドを描く 秋野不矩自選展」(大丸梅田店、大丸京都店、西武池袋店、浜松市美術館/毎日新聞社主催)を開催。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《女神ナギニー》を出品。
8月
京都市美術館評議員に就任。1986年の京展より審査員を始める。
9月
14日 - 10月20日
「美の女性200年展─日本画の流れに見る─」(西宮市大谷記念美術館)に《朝》を出品。
10月
第12回創画展(東京都美術館)に《土の家》を出品。
《水の女神》を制作。
1986年(昭和61)─── 78歳
1月
第27回毎日芸術賞を受賞
3月
インド旅行。カルカッタ、マドラス、マハバリプラム、マドライ、ケララ、スリランカ、オリッサ、ベナレスなどへ。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《三菩薩像》を出品。
5月
『現代女流画家素描集 - 人 -』『現代女流画家素描集 - 静物・風景 -』(日本経済新聞社)を出版。
9月
11日 - 1987年1月20日
「京の四季展」(京都府主催)に《上げ松(鶴ヶ丘)》を出品。
10月
第13回創画展(東京都美術館)に《廻廊の壁画》を出品。
1987年(昭和62)─── 79歳
1月
第7回現代女流画家展(高島屋)に《ベンガルの祈り》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《土の家》を出品。
6月
日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《土の家》を出品。
10月
第14回創画展(東京都美術館)に《石柱》を出品。
《土の家A》《土の家B》《土の家C》《地の祈り》《プージャの供物を運ぶ女たち》《沐浴》《村童》《女神ドルガ》《供華・ベンガルの祈り》《供華・プージャ(ベンガル)》《供華・カーリー女神》《散華》《散華》《土偶》《リリシュナチュラ》《古面シリーズ》《地の祈り》を制作。
1988年(昭和63)─── 80歳
1月
第8回現代女流画家展(高島屋)に《供華》を出品。
2月
22日- 4月5日
「秋野不矩作品展」(彩鳳堂画廊(東京)、大丸京都店、大丸心斎橋店、ギャラリー・アートデューン)を開催。23点を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《朝の祈り》を出品。
5月
第1回京都美術文化賞を受賞。
インド旅行。ボンベイ、グジャラート、カッチ地方、ゴア、ケララ、オリッサなどへ。
6月
第9回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《廻廊の壁画》を出品。
9月
9日- 10月14日
なにわ塾「日本画を語る」(大阪府立文化情報センター/コーディネーター榊原吉郎)で全5回の講話。
10月
第15回創画展(東京都美術館)に《女人群像》を出品。
《天竜川》を制作。
1989年(昭和64/平成元)─── 81歳
1月
第9回現代女流画家展(高島屋)に《捧灯》を出品。
2月20日- 12月31日
毎日新聞朝刊連載小説「山の暮れに」(水上勉 みずかみつとむ 作)の挿絵を担当。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《廃墟 I 》を出品。
6月
第11回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《土の家 B》を出品。
10月
第16回創画展(東京都美術館)に《廃墟 II 》を出品。
17日 - 11月6日
「昭和の日本画100選」(日本橋三越/朝日新聞主催)に《たむろするクーリー》を出品。
11月
13日 - 30日
「土を喰う日々五人展」(ギャラリー若州赤土舎)を開催。水上勉、灰谷健次郎、田島征彦、渡辺淳、秋野不矩が出品。
1990年(平成2)─── 82歳
1月
第10回現代女流画家展(高島屋)に《ココナツを持つ女》を出品。
3月
『日本画を語る』なにわ塾第33巻(ブレーンセンター)を出版。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《廃墟 III 》を出品。
1日 - 9月30日
「国際花と緑の博覧会 花と緑・日本画美術館展」(大阪鶴見緑地)に《讃華》を出品。
5月
第43回中日文化賞受賞。
6月
第12回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《廃墟》を出品。
10月
第17回創画展(東京都美術館)に《シヴァ寺院 I 》を出品。
11月
1日 - 29日
「1950年代 京都の日本画」(京都市美術館)に《少年群像》《裸童》《青年立像》《猫》を出品。
1991年(平成3)─── 83歳
1月
12日 - 2月1日
創画会巨匠展(名都美術館)に《ガンジス河畔の少女》《中庭の祈り》を出品。
第11回現代女流画家展(高島屋)に《紅衣》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《沼 》を出品。
5月
18日 - 7月14日
「近代日本画の精華」(山種美術館)に《中庭の祈り》《裏町(カルカッタ)》を出品。
6月
第13回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《シヴァ寺院 I 》を出品。
7月
21日
NHK「日曜美術館 アトリエ訪問 秋野不矩」(聞き手 宇佐美圭司)に出演。
インド旅行。オリッサ、ブバネシュワール、ウダヤギリ、カルカッタ、ヴィシュヌプールなどへ。
9月
20日 - 10月6日
「秋野不矩・柳沢紀子・吉澤美香3人展」(ギャラリー アート・デューン)を開催。
10月
第18回創画展(東京都美術館)に《ウダヤギリ I 》を出品。
19日 - 12月1日
「からだのイメージ展」(静岡県立美術館)に《裸童》を出品。
11月
3日
文化功労者に顕彰。
《雨雲》を制作。
1992年(平成4)─── 84歳
1月
30日 - 3月24日
「近代日本画に見る「女性とその装い」展」(横浜高島屋など/朝日新聞社主催)に《朝の祈り》を出品。
2月
27日 - 3月10日
「いのちの賛歌─京都・日本画100年」(京都府主催)に《深山の春》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《ウダヤギリ僧房 I 》を出品。
6月
第14回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《ウダヤギリ I 》を出品。
18日 - 23日
「秋野不矩・下 保昭・水上 勉 三人展」(大丸京都展)を開催。
9月
5日 - 13日
「秋野不矩 日本画展」(天竜市立中央公民館/天竜市文化協会主催)を開催。
10月
第19回創画展(東京都美術館)に《ヴィシュヌプール寺院》を出品。
11月
5日
『画文集 バウルの歌』(筑摩書房)を上梓。
11日 - 12月19日
個展「秋野不矩 インド」(佐賀町エキジビット・スペース)を開催。
《ナヴァグラハ(九曜星)》《雨雲》《渡河》《ウダヤギリ II 》《ウダヤギリ僧房 II 》《テラコッタ寺院》《ヴァラーハ(ヴィシュヌ化身 猪)》《民家(ブバネシュワールオールドタウンA)》(素描) 《民家(ブバネシュワールオールドタウンB)》(素描)を出品。
12月
10日
『秋野不矩 インド』(京都書院)を上梓。
右から、
生田花朝、秋野不矩、三谷十糸子、小松華影、梶原緋佐子、木谷千種、西畑起佐子
「春宵女絵師彼是話 奈那久佐会同人談会録抄」(『藝術』第11巻7号)より
1993年(平成5)─── 85歳
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《九曜星》を出品。
5月
9日 - 6月6日
「くらしの情景 展」(姫路市美術館)に《紅裳》を出品。
13日
前年の個展「秋野不矩 インド」(佐賀町エキジビット・スペース)が評価され第25回日本芸術大賞(財団法人 新潮文芸振興会)を受賞。
6月
第15回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《ヴィシュヌプール寺院》を出品。
8月
インド旅行。サンティニケタン Santiniketan 、アグラ、タージマハル、カジュラホ、ベナレス、ブバネシュワール、プーリ、コナラク、カルカッタなどへ。
10月
9日 - 1994年4月24日
「秋野不矩 展」(静岡県立美術館、高島屋大阪展、京都市美術館、下関大丸/毎日新聞社ほか主催)を開催。84点を出品。
第20回創画展(東京都美術館)に《民家(ブバネシュワールオールドタウンB)》を出品。
11月
20日 - 28日
「秋野不矩のインド(写真・素描)展」(天竜市立中央公民館/天竜市文化協会主催)を開催。
1994年(平成6)─── 86歳
1月
第15回現代女流画家展(高島屋)に《雨》を出品。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《村落(カジュラホ)》を出品。
5月
31日 - 6月12日
「平安建都1200年記念 美術選抜 展」(京都市美術館)に《女人石像》を出品。
13日
前年の個展「秋野不矩 インド」(佐賀町エキジビット・スペース)が評価され第25回日本芸術大賞(財団法人 新潮文芸振興会)を受賞。
6月
第16回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《民家(ブバネシュワールオールドタウンB)》を出品。
9月
15日 - 1995年1月29日
「京都画壇250年の系譜 展」(高島屋京都店/京都新聞社ほか主催)に《ウダヤギリ僧房 II 》を出品。
10月
9日 - 1994年4月24日
「秋野不矩 展」(静岡県立美術館、高島屋大阪展、京都市美術館、下関大丸/毎日新聞社ほか主催)を開催。84点を出品。
第21回創画展(東京都美術館)に《パラスラメスバー寺院(オリッサ)》を出品。
21日 - 11月27日
「創造美術の創立会員たち 展」(松伯美術館)に《少年群像》《カミの泉 II 》を出品。
《アグラ風景》を制作。
1995年(平成7)─── 87歳
1月
15日 - 2月4日
「秋野不矩 個展」(ギャラリー アート・デューン)に《九曜星》を出品。
2月
3日 - 3月26日
「戦後日本画の新しい波─山本丘人と仲間たち 展」(松柏美術館)に《シヴァ寺院》《雨雲》を出品。
2月末 - 3月頃
脳梗塞により長岡京市の新川端病院に入院。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《帰牛》を出品。
5月
27日
「土曜美の朝〜日本画家 秋野不矩」(NHK)を放送。
6月
第17回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《村落(カジュラホ)》を出品。
9月
15日 - 1995年1月29日
「京都画壇250年の系譜 展」(高島屋京都店/京都新聞社ほか主催)に《ウダヤギリ僧房 II 》を出品。
10月
第22回創画展(東京都美術館)に《リンガラージャ寺院 I(後 《ラージャラーニ寺院 I 》)》《リンガラージャ寺院 II(後 《ラージャラーニ寺院 II 》)》を出品。
6日 - 11月5日
「昭和20年代の日本画 展」(島根県立美術館)に《少年群像》を出品。
11月
1日 - 12月10日
「日本の心に薫る桜と菊 展」(神宮美術館)に《桜花図》を出品。
12月
インド、カンボジア旅行。デリー、ブバネシュワール、プーリ、コナラク、アンコール・ワット(カンボジア)などへ。
《ナギニー(竜神)》を制作。
1996年(平成8)─── 88歳
2月
カンボジア(アンコール遺跡)を旅行。
4月
京都春季創画展(京都市美術館)に《廻廊(アンコールワット)》を出品。
6月
第18回日本秀作美術展(読売新聞社主催)に《帰牛》を出品。
9月
30日
天竜市立秋野不矩美術館(現 浜松秋野不矩美術館)起工式を挙行。設計は藤森照信。
10月
第23回創画展(東京都美術館)に《石獅子(アンコールワット)》を出品。
26日
京都府あけぼの賞受賞。
インド旅行(約1ヶ月)。デリー、ジャイプール、ウダイプール、ジャイサルメール、ジョードブル、バンガロール、マイソール、ハレビード、ベルール、マンガロール、ムンバイなどへ。
11月
2日 - 26日
「今日の三人展─秋野不矩・北村武史・芝田米三一」(京都四条ギャラリー)に《ヴァラーハ(ヴィシュヌ化身 猪)》を出品。
12月
7日 - 29日
「秋野不矩・八木幾朗 二人展」(ギャラリー アート・デューン)を開催。
《残雪》を制作。
1997年(平成9)─── 89歳
1月
3日 - 11月16日
「創画会50年記念展」(高島屋京都展/毎日新聞社主催)に《少年群像》《廃墟 II 》を出品。
第17回現代女流画家展(高島屋)に《廻廊(アンコールワット)》を出品。
2月
インド旅行(約1ヶ月)。ブバネシュワール、プーリ、コナラクなどへ。
4月
京都春季創画展(日本橋高島屋)に《沼》を出品。
12日 - 6月3日
「'97現代京都の日本画─気鋭の15人─」展(加古川文化センター)に《リンガラージャ寺院 II(後 《ラージャラーニ寺院 II 》)》を出品。
6月
5日 - 10月5日
第19回日本秀作美術展(日本橋高島屋/読売新聞社主催)に《廻廊(アンコールワット)》を出品。
10月
第24回創画展(東京都美術館)に《ラージャラーニ寺院(オリッサ)》を出品。
20日 - 11月5日
「秋野不矩展 ─デッサンから本画へ─」(ギャラリー鉄斎堂)を開催。
『秋野不矩作品集 インドを観る─デッサンから本画へ─」(秋野不矩・秋野子弦監修/ギャラリー鉄斎堂)を刊行。
1998年(平成10)─── 90歳
1月
第18回現代女流画家展(高島屋)に《パラスラメスバー寺院》を出品。
天竜市立秋野不矩美術館の竣工・開館(4月竣工)を目前に、メインとなる展示室(第2展示室)の空間に合わせた《オリッサの寺院》を制作。
2月
8日 - 3月19日
インド旅行。サンティニケタン、ブバネシュワール、マドバニ村などへ。
3月
19日 - 9月15日
「秋野不矩─インド 大地と生命の讃歌─」(大丸心斎橋店、大丸京都展、博多大丸、天竜市立秋野不矩美術館、大丸東京店/毎日新聞社・天竜市など主催)を開催。本画87点を出品
4月
京都春季創画展(日本橋高島屋)に《女神デヴァーター》を出品。
18日 - 8月2日
「絵本原画の世界 展」(宮城県立美術館)に《うりひめとあまのじゃく》を出品。
24日
天竜市立秋野不矩美術館竣工式挙行。
5月
30日
「いのちの原風景─秋野不矩 インドを描く─」(テレビ静岡放送)を放送。
6月
2日 - 24日
「絵本原画展〜むかし話の世界〜」(磐田市立図書館)に《いっすんぼうし》を出品。
4日 - 9月27日
第20回日本秀作美術展(日本橋高島屋など/読売新聞社主催)に《沼》を出品。
28日
「新日曜美術館 美術館への旅─天竜市立秋野不矩美術館─」(NHK教育)を放送。
9月
29日 - 1999年1月17日
「京都の100年・パリの100年展」に(京都市美術館)に《紅裳》を出品。
10月
第25回創画展(東京都美術館)に《雨雲》を出品。
10日 - 11月23日
「インドに魅せられた日本画家たち 展」(茨城県天心記念五浦美術館)に《平原》《黄土》《砂漠の街》を出品。
17日 - 11月5日
「秋野不矩展 インドを観る─デッサンから本画へ─PART II 」(ギャラリー鉄斎堂)を開催。本画、下図、デッサンなど123点出品。
11月
14日 - 12月13日
「戦後日本画の歩み 展」(鳥取県立博物館)に《青年立像》を出品。
1999年(平成11)─── 91歳
1月
29日
第17回京都府文化賞特別功労賞を受賞。
2月
7日 - 3月19日
インド旅行。ブバネシュワール、チルカ湖、プーリー、コナラク、デリーなどへ。
3月
京都春季創画展(日本橋高島屋)に《沼》を出品。
4月
「女性週間全国会議 関連企画 秋野不矩特別展示」(グランシップ/静岡県女性政策課主催)を開催。
8月
6日 - 9月12日
「京都近代画壇と『西洋』─日本画革新の旗手たち─展」(京都国立近代美術館/京都新聞社主催)に《青年立像》を出品。
9月
7日 - 2000年5月28日
「司馬遼太郎が愛した世界 展」(日本橋三越、NHK、朝日新聞社ほか主催)に《廻廊の壁画》《廃墟 I 》《廃墟 II 》《ウダヤギリ僧房 I 》《ウダヤギリ僧房 II 》《沼》を出品。
10月
第26回創画展(東京都美術館)に《ガンガー》を出品。
11月
3日
皇居の松の間において文化勲章と勲記の伝達を受ける。
12月
14日 - 26日
「絵本原画展」(文化フォーラム春日井ギャラリー)に《いっすんぼうし》を出品。
2000年(平成12)─── 92歳
1月
15日 - 4月2日
「松園と松園賞受賞の画家たち 展」(松柏美術館/毎日新聞社ほか主催)に《少年群像》《裸童》《インド女性》《女神ナギニー》《土の家》《たむろするクーリー》《土の家(生命の樹)》《地の祈り》《村落(カジュラホ)》《雨雲》を出品。
2月
14日 - 3月11日
アフリカ旅行。サハラ砂漠、マリ、ガーナ、ニジェール、ブルキナファソなどへ。
3月
京都春季創画展(日本橋高島屋)に《マドバニ村落の壁》を出品。
30日 - 11月4日
「20世紀を生きた日本画の巨匠 展」(JR名古屋高島屋/日本経済新聞社ほか主催)に《砂上》《朝》《ガンジス河畔の少女》《残雪》《砂漠の街》《海辺のコッテージ》《唄うバウル》《シヴァ寺院》《バラスラメスバー寺院》を出品。
4月
22日 - 6月4日
文化勲章受賞記念「秋野不矩 展」(天竜市立秋野不矩美術館/毎日新聞社ほか主催)を開催。本画46点を出品。
5月
15日 - 9月14日
第22回日本秀作美術展(日本橋高島屋など/読売新聞社主催)に《ガンガー》を出品。
9月
8日 - 10月9日
「福田平八郎とその時代─創造美術をつくった人々─展」(秋田県立近代美術館)に《紅裳》《少年群像》《平原》を出品。
10月
第27回創画展(東京都美術館)に《ティレム人の住居跡》を出品。
5日 - 11月5日
「開館10周年記念特別 展 ─インドの旅─秋野不矩 展」(新見美術館)を開催。本画18点を出品。
《雨雲》《ガンガー》を制作。
2001年(平成13)─── 93歳
2月
10日 - 3月25日
「秋野不矩・ラマチャンドラン 絵本原画展」(天竜市立秋野不矩美術館/中日新聞東海本社主催)を開催。《うりひめとあまのじゃく》《いっすんぼうし》《やまねことにわとり》《きんいろのしか》《うらしまたろう》《ちいさなたいこ》を出品。
3月
京都春季創画展(日本橋高島屋)に《砂漠のガイド》を出品。
5月
11日 - 17日
「郡山開成学園芸術鑑賞講座 秋野不矩展」(学校法人 郡山開成学園)を開催。本画11点を出品。
30日 - 9月4日
第23回日本秀作美術展(日本橋高島屋など/読売新聞社主催)に《ティレム人の住居》を出品。
6月
9日 - 7月1日
「秋野不矩作品展」(ギャラリー鉄斎堂)を開催。
9月
5日 - 10月2日
「梅原 猛と33人のアーティスト 展」(高島屋美術画廊)に《渡河》《オリッサの民家》を出品。
11日 - 11月16日
「京都画壇11人の巨匠 展」(京都高島屋/京都新聞ほか主催)を開催。
10月
第28回創画展(東京都美術館)に《アフリカの民家》を出品。
11日
心不全のため、京都府美山町のアトリエで逝去(行年93歳)。11日付で従三位に叙せられる。
13日 - 2002年1月14日
「三岸節子・秋野不矩 展─大地と生命へのオマージュ─」(天竜市立秋野不矩美術館/中日新聞東海本社など主催)を開催。本画19点を出品。
30日
葬儀が真宗大谷派岡崎別院で執り行われ、梅原猛、石本正らが弔辞を捧げる。
11月
20日 - 2002年2月3日
「練馬区立美術館所蔵品による『日本画』現代と革新」に《オリッサの民家》《ティレム人の住居》《雨雲》《ガンガー》《砂漠のガイド》を出品。
11月
28日
「秋野先生お別れ会」が天竜市民会館で執り行われる。
*本年表は、現在表記の文字の大半を緑色にしていますが、一部スミ(黒)色になっています。これは、本年表が『秋野不矩展 : 生誕100年記念』(京都国立近代美術館, 浜松市秋野不矩美術館, 神奈川県立近代美術館, 毎日新聞社事業本部 編)所収の年表をベースに作成しており、同年表から参照した箇所を緑色の文字で表しました。その上で、諸史料から年表記述に整合性の確認ができた箇所をスミ色に変換しました。